柏木、友人の夕霧に女二の宮(朱雀天皇の皇女)の後事を託す・国宝絵巻の元になる原文「源氏物語」柏木の巻・大炊御門宗氏・自筆/茶道24B

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京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵

自筆「源氏物語」の「柏木(かしわぎ)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。

「柏木の巻」の主人公「柏木」は、国宝「源氏物語絵巻」の中に柏木を見舞う夕霧として描かれている

自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。現在の今上天皇と系譜がつながっている。

 関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。(資料の記録は下記に掲示)

 出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。
 自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。また、各巻ごとの書かれた年については不明。従って、応永五年とは、書き始めの年である。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。

 大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。

 旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。

 出品した「源氏物語」は柏木(かしわぎ)の内容の要旨
『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。柏木の巻には、源氏の君の正室で朱雀天皇の皇女・女三の宮が「薫の君」を出産したことが主要なテーマ。薫の君の出産後、盛大な誕生を祝う産養(うぶやしない)の宮中行事が続く。しかし、柏木と女三の宮は暗然たる思いをかみしめている。女三の宮の生んだ「薫の君」が源氏の君の子ではなく、柏木との間に生まれた子供であるという秘密をかかえこんでいた。柏木な複雑な思いをかみしめながら体調をそこねている。女三の宮も生まれた子供のことを思い出家をしてします。病の床にあった柏木の元を友人の夕霧が見舞いに訪ね女三の宮との逢瀬の秘密をそれとなく話す。重体に陥った柏木は、正室・女二の宮(朱雀天皇の皇女)の悲運を思い将来の後事を託す。柏木のなきあと、初夏に入ってまもなく夕霧は、柏木の正室・女二の宮を訪ねる。女二の宮付女房たちが、夕霧の凛々しさを見て、女二の宮との結婚を期待する。

自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」と娘・幾千姫(玉映)の落款(印譜)

自筆上部の「在天願作比翼鳥」(天に在りて願わくは比翼の鳥とならん)「天に在ってのお願いは比翼の鳥となることである」の漢詩の落款
漢詩は「白氏文集」の中の有名一節で、白楽天の連理の詩で有名です。漢詩の由来は、「ことならば、ならしの枝にならさなむ葉守の神のゆるしありきと」との柏木の中の一文にあります。「葉守の神」とは柏木に宿る神。「葉守の神のゆるし」とは柏木のゆるしの意味上の句の「ならしの枝」(なれ親しむ枝)つまり連理の枝となってほしいという和歌です。「葉守の神」といえば落葉を防ぐ神である。葉守の神は落葉の宮と称された女二の宮を守る夕霧ということになる。柏木は自分の死後の女二の宮の行く末を友人の夕霧に託した。今度は夕霧が葉守を守る神になるという意味です。「在天願作比翼鳥」は、白楽天の連理の詩で有名であり、夕霧と女二の宮が天にあって連理の比翼の鳥として末長くはばたいてほしいという意味が落款に込められている。押捺の詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)

大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載

《「源氏物語」柏木(かしわぎ)の巻》
「柏木」の巻は英文で「The Oak Tree」と表記されます。
《自筆上部の「在天願作比翼鳥」(天に在りて願わくは比翼の鳥とならん)「天に在ってのお願いは比翼の鳥となることである」の漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白氏文集」の中の有名一節です。》

「額縁入自筆原本」

(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)

「自筆原本」

自筆右下二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。

自筆上部の「在天願作比翼鳥」(天に在りて願わくは比翼の鳥とならん)「天に在ってのお願いは比翼の鳥となることである」の漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白氏文集」の中の有名一節です。

《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。》

自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)


自筆が「古切」とされたのは江戸時代。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載

(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。


《「源氏物語」柏木(かしわぎ)の巻》
《「在天願作比翼鳥」(天に在りて願わくは比翼の鳥とならん)「天に在ってのお願いは比翼の鳥となることである」の漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。》

《いとあらまほしう、》・・・・・もてなしかしつき聞えて、
けなつかしう、心はへをかしう、うち解けぬさまにて、過くい給ひけれは、
つらき節も、殊になし。たゝ、「かく、短かりける御身にて、あやしう、
なへての世、すさましく、思ひ給ひけるなりけり」と、思ひ出て給ふに、
いみしう、おほし入りたるさま、いと、心くるしう、御息所も、「いみしう
人笑へに、口おし」と、見たてまつり嘆き給ふ事、かきりなし。
おとゝ、北の方なとは、まして、いはむ方なく、
「我こそ、先立ため」
「世の、ことわりなく、つらう、いみしきこと」
と、こかれ給へと、何のかひなし。あま宮は、おほけなき心も、
うたてのみおほされて、「世に長かれ」としも、
お・・・・・《ほさゝりしを、》

(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。


(2)・自筆の「原文の現代語訳文」は次の通りです。


《「源氏物語」柏木(かしわぎ)の巻》
《柏木、友人の夕霧に女二の宮(朱雀天皇の皇女・柏木の正室)の後事を託す》

《国宝「源氏物語絵巻」病床の柏木を見舞う夕霧の有名な場面の原文》

《右大臣殿(髭黒)の北の方(玉鬘)も、この君(柏木)ばかりは特に親しく兄と
お思い申しあげておられた。そして、何かにつけてご心配になられて、御祈祷(きとう)など特別に
おさせになったのだけれど、「やむ薬」ではないから、なんのかいもないことではあった。
女宮(柏木の正室・朱雀院の皇女・女二の宮)にもついにご対面申されることもならず、
泡の消え入るようにして終えられた。
 これまで長年の間、衛門督(柏木)は心底から宮(柏木の正室・朱雀院の皇女・女二の宮)と
情けを交す仲らいではないけれど、表向きは》・・・・まったく申し分なく大事にお世話申しあげて、
その態度もやさしく心づかいも風情(ふぜい)があり、礼儀をわきまえたお扱いを受けてお過しになった。
だから、うらみに思うところが別にあるわけではない。
ただ、督の君(柏木)は、こうして寿命の短かったお方だったので、それで不思議と
世間並の夫婦仲をおもしろくなくお思いだったのかとおしのびになると、たまらなく悲しくて、
思い沈んでいらっしゃるお姿はまことにおいたわしい。
宮の母の御息所(みやすどころ)も宮(柏木の正室・朱雀院の皇女・女二の宮)のこうしたご不幸を拝すると、
ひどく不面目で残念なことと、限りなくお嘆きになる。
父大臣や母北の方(柏木の母・四の君)などはなおさらのこといいようもなくお嘆きになって、
(柏木の母・四の君)「自分のほうが先にゆきたかった。この世の道理もありはせぬ、つらいことよ」
と恋い焦(こが)れていらっしゃるけれど、どうなるものでもない。
 尼宮(女三の宮・源氏の君の正室・薫の君の母)は、衛門督(えもんのかみ)のだいそれた心も
ただ厭(いと)わしくのみお思いになり、生きていてほしいとの・・・・・《お気持のあるわけでもなかった。》

注記・源氏の君の正室・女三の宮の子である薫の君の実の父親が柏木であることが、源氏の君の知るとろとなったことを知った柏木が、悲しみ後悔する心境を親友の夕霧に間接的に告白している。国宝「源氏物語絵巻」の中で描かれている柏木と夕霧の会話の有名な場面である。

備考1・源氏の君の正室・女三の宮(朱雀帝の皇女)の生んだ「薫の君」は源氏の君の子ではなく、柏木との間に生まれた子供。その秘密が源氏の君の知るところとなり苦悩する柏木と女三の宮を記す。

備考2・女二の宮は、朱雀帝と一条御息所の皇女で、柏木の正室。柏木は生前、友人の夕霧に女二の宮(落葉の宮)の行く末を遺言として託す。

現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)

備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。




(2)・自筆の「英訳文」は次の通りです。


《The Oak Tree(柏木)》
He had been a gentle, considerate husband, making no demands
upon her and giving no immediate cause for anger.
Thinking sadly over their years together, she thought it strange that a man
doomed to such a short life should have shown so little inclination to enjoy it.
For her mother, the very worst had happened,
though she had in a way expected it.
Her daughter had married a commoner, and now
everyone would find her plight very amusing.
Kashiwagi"s parents were shattered.
The cruelest thing is to have the natural order upset.
But of course it had happened, and complaining did no good.
The Third Princess, now a nun, had thought him impossibly
presumptuous and had not joined in the prayers, but even she was sorry.


英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)



(2)・自筆の「中国語訳」は次の通りです。


《柏木》
《非常恭尊重,》・・・・・・逾恒,周至,
一向相敬如。因此落叶公主他并无怨恨之。看柏木如此寿短,
只得世事不可思,人生在无聊,左思右想,不悲戚,
那迷恍惚的神情甚可怜。的母夫人想起女儿青春守寡,惹人笑,
不惜。看了女儿愁苦的模,感到无限悲。柏木的父母更不必,
他恋恋不舍地哭泣,叫道:“我先死呀!世太不道理了!”
然而无可奈何。做了尼姑的三公主一向痛恨柏木无礼,希望他不得寿。


中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)

「柏木の巻」原本の末尾(原本番号41-B)の印は、仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室・伊達貞子の押印

左の写真2枚が「源氏物語」柏木の巻の末尾(原本番号41-B)右面と左面の押印。
写真一番左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。冬姫は内大臣・通誠の養女。
冬姫は通称。正式な名は伊達貞子。左端の写真は「柏木の巻」末尾の拡大写真。
左上の篆書体は、「在天願作比翼鳥」(天に在りて願わくは比翼の鳥とならん)の押印。
篆書体の下の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・玉映の落款
写真左から2枚目上の2つの印は仙台藩医・木村寿禎の落款
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。)


自筆の疎明資料等は、下記の通りです。



(Ⅰ)・上の写真右端は、高松宮「源氏物語」のうち「桐壺」の巻冒頭・(出典資料 別冊「太陽」「源氏物語絵巻五十四帖」(平凡社・刊)78頁。筆者は近衛関白政家公。中央の写真は、応永五年(1398)の年号。年号の左の印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)。左の写真は、桐壺の巻の奥付。左大臣から関白に昇進した近衛基熙(もとひろ)公の花押。上下2段の花押のうち、上の印は。出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)、下の印は仙台藩医・木村寿禎の落款(印譜)


「自筆の画像断層(MRI)写真」


(出品した自筆の「断層画像写真」(柏木の巻)MRI 36―24B
自筆下二つの印のうち下は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款

「源氏物語」「柏木の巻」主人公・柏木の資料

下記写真は、国宝「源氏物語絵巻」の中に描かれる柏木。


病床の柏木を見舞う夕霧。左が柏木、右が夕霧。




「天皇の曽祖父・大炊御門宗氏の系図」「額縁裏面表記ラベル」
「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」


1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫・所蔵)
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
4番目の写真は、天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行





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